はじめまして。
昭和の時代に関西で生まれ、関西で育ちました。
高知の田舎生まれの母と、愛媛の田舎生まれの父。
築30年近くは建つ古い木造平屋建ての借家で暮らしていました。
父はなかなか定職につけず、酒好きでよくワンカップを自販機で買ったり
近所の酒屋でツケで一升瓶を買っていたようでした。
小学生時代は父親と近所の広場でキャッチボールをしました。
夏の甲子園さながら実況をしながら父がキャッチャー役。
ツーアウト満塁・・・真剣に三振を取るように力いっぱい投げたのを覚えています。
夏になれば自転車に乗り、小一時間かけてサビキ釣りに出かけました。
お金のことはわからず、父に釣りに連れて行けとせがみ。
「そんなお金がどこにあるのよー」と夫婦喧嘩になった事を後になって後悔したのを覚えています。
子供好きで決して裕福ではなかったのですが、楽しい思い出を父は作ってくれました。
母はパートや内職で家計を支えてくれていました。
子供心に真夜中まで内職する母をみて、よく内職を手伝ったのを覚えています。
夫婦喧嘩もよくあって私は泣きながらふたりを止めたこともありました。
母が離婚について私に話したことがあったようですが、草を食べてでも家族で暮らしたい。
そう言った記憶が私にはないのですが、母がそれを聞いて思いとどまったと後年になって聞きました
母は何度か家を飛び出し、夜に自転車で走り回って探した事もありました。
そんな私が高校を卒業し、就職して大人になり彼女ができました。
父は58歳で、私の結婚も孫の顔も知らずに小脳出血で他界してしまいました。
母は晩年に同居し、69歳で難病にかかり70歳で他界しました。
私はずっと現在の会社で働き、家族で暮らしています。
こんな私が今度は父親になり、家族を幸せにするためにいろいろと戦ってきました。
一度は会社の激務で、精神的に病んでしまった時期もありました。
今はそれを乗り越え、会社勤めをしながら投資家を目指しています。
家族といろいろな思い出をつくり、私自身の夢の実現を目指して。
私の周りを幸せにして、その幸せの輪の波紋を広げて行ければいいなと思っています。
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